乙野花子の生活 in欧州

会社員。BRCA1陽性です。

2017年 左右全摘、同時再建

左右全摘手術については、先生に提案されてほぼ即決でした。

何度も言うけど、温存の意味ないレベルにまで左側が縮小の一途をたどっていたので。

左はブラはかぷかぷに浮いてました。右は40過ぎて結構垂れてきたおかげと中年太りでボリュームが出始めているというのに。

全摘に向けて、外科医と面談をし、胸にマーカーで落書きされ、それを写真を携帯で撮られ、Whatsappで整形外科医に送られるというこの状況じゃなきゃあまりない打ち合わせを経ていざ入院。

あ、整形外科医と面談をした際にはなぜか、現状よりも大きくはならないからね、と大きさのアップは期待するなという念押しのようなものをされました。

手術の病院も同じ市内ではなく、執刀医のP先生が(この先生もV病院にいた)週に数日勤務するかなり郊外の病院へ。しかしこの病院、所在する市の人口が減少の一途をたどる現状にあってなぜか新設された、空港のように広くて素敵な新施設。引退組のおじいちゃんおばあちゃんが、ホールや受付付近でボランティアをしていて、入院前の検査に訪れた時も、ちょっとでも立ち止まっていると、どこへ行くのかとか、なにか必要かとか、本当にいろいろ助けてくださるのですよ。びっくり。普通は勤続30年とかのベテラン受付おばちゃんにいろいろ早口でまくしたてられ、結構バトルな感じなんだけどな。

前日にセンチネルリンパがどの辺にあるかの検査をするけど、そこからもう入院しちゃいましょうと言われて承諾。一人で病院に行きました。家族は翌日の手術日に。ベッドのリクライニング機能で遊びつつ、お昼を食べ、しかもWIFIあるし、と結構リラックスしてすごしました。

当日はいきなりシャワー浴びた?と言われてしてないというと、じゃあこれで洗ってきてと言われて渡されたのがハンドソープとシーツ笑。でたでた、このザッパ感。ハンドソープで体を洗い、バリバリのシーツで拭いて、手術室へ入る準備完了です。

襦袢の下に着る下着のような綿の手術着に着替えてベットごと移動。ついてきてくれる夫と手術室の入り口で別れる時もちろん泣いちゃいました。泣くよ。これは。先生方を驚かせちゃったけど、すごく心配してくれて、看護師さんなんかも気を紛らわすためにいろんな話をしてくれました。整形外科の先生は、手術直前だっていうのにまた胸のところ測ったりとかしてましたがベテランの先生なのでお任せしちゃおうと。手術室は寒かったな。で、麻酔は口にマスクを当てられるあの方式だと思ってたら注射だったようで気づいたら記憶がありませんでした。同時再建なので6時間くらいはかかるらしいとのこと。組織を取り除くのに1時間くらい、そのあとは再建の整形外科の先生の時間だとのこと。ほんとにすごいと思いました。

病室でぼやっと目が覚めるとたぶん19時。診察に来た先生の呼びかけに、ほんとにまだ麻酔でぐらぐらな頭でなんとか受け答えしようと思ってなにか答えた記憶があります。で、再建具合が気になって先生が診察している間、ちらっと胸をみたらまぁびっくり。超大きなおっぱいがあるじゃあありませんか!これ誰の?でも麻酔のぼんやり頭で(手術直後で腫れてるのもあるだろうからどれくらいしぼんじゃうかにかかってるな)と咄嗟に思いました。結果的には特にしぼまずシリコンのはつらつとした胸はほかの垂れさがっていく部位に相反してつんつん上を向いてます。ボリューミー。

翌日は家族の到着前に歩いたりしていて驚かれました。腕についている哺乳瓶のような薬剤がなにか看護師さんに聞いたら「ドラッグよ、ドラッグ!」と明るくいってもらえ、朝から気分も上向きに。この鎮痛剤(モルヒネ)がなければまぁ大変らしいのだけど、医学の発達ってすごいなとしみじみ上向きのおっぱいを眺めながら思いました。

一番いやだったドレーンは両方の胸の下側面から2本チューブが出ていてその先の卵型のシリコン容器の中に不要な体液がたまっていきます。体液が本当に少なくなるまでこの卵と一緒の生活に。看護師さんには退院の時、「あら、キンダーの卵(中におまけが入っている子供用のチョコレート)つけてどこ行くのよ」と笑われてました。前回はリンパも郭清したのでこのドレーンが左側だけついていたけど、たまった体液を捨てたりができなかった記憶があって、いちいち病院に行かなくてはいけなかったのがネックだったのだけど、今回は自分で朝晩体液量を記録して捨てるというのができるのでちょっとよかったです。

3泊して退院。退院前に専用のブラジャーを装着して安定感も増し、ブラの下側の部分にキンダーの卵をクリップで留めて準備完了。このブラ、医療用の悲しい感じのブラかと思いきやショッキングピンクのスポーツプロ選手用ブラみたいなさっそうとした感じでいまだに時々使ってます。シリコン胸なので、パッドなしのこういうブラでも形は決まるし、いやー、全摘早くすればよかったと今になって思います。右側にルミナルBが見つかる前だったらなおよかったのかもしれない。

ドレーンはそのあと7日程度でとれました。マッサージ用のクリームとかもらったけど結局あまりしてませんでした。ドレーンがまだ取れる前にちょっと速足で歩いた際と、3か月ほどたって、一度走りに行った際の両方とも、翌日超高熱が出てしまい、しかも走った日の後は両胸の下側が赤くはれてエコーをしてもらう羽目に。運動はもうちょっと慎重にしないと私の場合はいけないのかもしれないと思いました。

この後生検の結果がわかり化学療法等の見通しが立っていきました。

化学療法のお話はまた次の機会に。