乙野花子の生活 in欧州

会社員。BRCA1陽性です。

2005年 左側トリネガ 概要

これまでの経緯を。このブログ見る人は説明なくても以下のことは大体わかると思うので簡潔に。

2005年、私30代前半でした。家族歴があります。

腫瘍径9mm、pT1b N1、センチネル1/26、Ki67 28%、グレード2、ホルモン受容体陰性、(トリプルネガティブ)

手術:温存手術

化学療法:AC療法4クール+タキソール4クール(卵巣保護のため薬で生理を止めてました)

放射線:50+10 greyを25+5回

 

手術は温存だったので午後3時ごろはじまって7時には病室へ戻ったかな。麻酔の影響ですごい吐き気だったのだけ覚えてます。夜はずっとおしっこが出たい感じで何度も看護師さんを呼び寝るどころではなく・・・なのに翌日の9時には退院でした笑。さすが欧州。産後もそうですが、すぐに出されますね。あ、でもこの病気の場合治療費免除のコードが患者さんに出されるので支払いはなしです。それを考えるとありがたいかも。

 

化学療法は王道のACとタキソール。ACは赤い薬剤です。確かに吐き気はひどかったかな(忘れてる)。当時は血管から注射してたので痛くて嫌だったのと、赤いのを見るだけで吐き気が、というのはありました。初回、お昼の時間だったので、食べれる人には病院食が出たのだけど、私も食べるといってもらってました。吐き気がこんなにすごいと思っていなかったのか、あるなら食べたい、と思ったからなのか…。メニューは牛肉の煮込みとほうれん草の付け合わせ。こんなの化学療法室の病院食に出すな…というか食べるといった私も私ですね。もちろんほうれん草はいまだに食べたくないです笑。

当時、3週間ごとに行う化学療法を2週間ごとにしたらどうなるかというドーズデンス(Dose dense)というスタディがあってそこに参加しました。白血球を上げる注射を化学療法後(今はケモっていうのですね…なんか明るくていい)に自宅でしました。薬局に登録されている注射を打てる人(昔看護師してたおばあさん)に家に来てもらってやってました。5ユーロ払ってたな。2017年の今は注射器もなんだかすごく扱いやすくなってて自分で腹部に打ってます。というか、不妊治療の時に腹部には何度も打ったのでこれはもうできるという感じ。

で、ドーズデンス、特に何かが向上したという結果が見られなかったようで、今はやっていないそうです。しかしこのおかげで4か月のところを3か月に短縮でき、ハゲ時間が短かったのはよかったなと思ってます。

ACの副作用は吐き気。タキソールは投与中に寝てしまうような感じで特に副作用はなかったような。しびれとか爪の黒ずみとかはあった気がします。でもACやったら他は何でもないと思う。

化学療法の影響で生理が止まってしまうのを回避するため、デカペプティルという注射を化学療法前に打ち、生理を止め一時的に更年期へ。ケモ終了後、1か月も経たずに生理は戻りました。2011年に出産してます。

 

放射線治療は毎日行くのが会社勤めとしては気兼ねだったかも。でも朝の7時に照射してもらうことにして、なんとか乗り切りました。副作用としては皮膚が赤くなってしまうこと。日焼けのような感じです。なので、クリームもらって塗ってました。下着もちょっと痛いときもあったけれど、まあその程度です。あ、治療中は日光浴などの日焼けは厳禁と聞いたかな。いまはどうなのか。

 

11年前のトリネガ治療はこんな感じでした。治療後はそのまま無治療。5年ほどたって妊娠について考えるようになりました。というか自然妊娠しなかったので不妊治療はできるのかと。

そうすると家族の罹患歴もあるのでBRCAの検査について話を受けました。なるほど。やってみてもいいかなと思い承諾しました。BRCAのお話は次の機会に。